蜜を吸い吸い、花から花へ。
三重県津市、ffee-coさんのお庭で |
アゲハさん、蜜がたくさん吸えてよかったね。
花だって、花粉を運んでもらえてよかったね。
でもね…。ふと思った。
「なぜ自然は、こんな『めんどうなこと』を繰り返すのだろう?」
花が咲く
↓
昆虫が蜜を吸いに来る
↓
昆虫の身体に花粉がつく
↓
花粉が運ばれる
↓
実が生る
↓
タネができる
↓
タネが土に落ちる
↓
芽が出る
↓
花が咲く
(以下、くりかえし)
「なぜ自然は、こんな『めんどうなこと』を繰り返すのだろう?」
…いや、待てよ。私の質問がおかしいのかも。
違った角度から問うてみよう。
「なぜ私は、この自然の循環を『めんどうなこと』と感じたのだろう?」
うーん、なぜ?
知らず知らず「手間を省くこと=善」とみなす価値観が、自分の中に根付いている?
これはあぶない! 気をつけないといけません。
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愛媛に移住した知人夫婦が、今年から稲作を始めました。
田植えが遅めだったらしく、収穫は10月1日の予定。
…といってもコンバインは使わず、もっぱら鎌での手刈り作業。
脱穀は、近所のお年寄りに教えてもらって、足踏み脱穀機(!)を使うのだそうです。
じかに「自然の恵み」を体感するための、効率性からは縁遠い世界。
知人夫婦が経営するお宿・おめぐり庵のInstagramより |
左:昌美さん、右:ベンジャミンくん 写真:しこくグリーンツーリズム |
2人は「自然の一部としての人間」を体現しているなー、といつも感心します。
田畑を耕して、山の手入れもして(栗もたくさん獲れるそうな)。
木で小屋を建てて屋根を葺いたり、野菜やコメ・漬物に調味料を作ったり。
他の生きもののお世話をすることで、命をつなぐ「恵み」をいただく暮らし。
…でもこれって、都市ではできないことだろうか?
都市にいながらにして「自然の一部としての人間」を意識するには、どんな生き方を選択すればいい?
…そんなことを、私は時折(否、しょっちゅう)考えます。
近郊の農家さんから直接仕入れる八百屋さん(兼お弁当屋さん)を運営する、というのは一つの答え。
さらには、この記事のような「逆開発」も手がけたい。
逆開発 -戻すことで見えてくるもの- (無印良品)https://www.muji.net/lab/living/180905.html
土地の風景も、ゆっくりでいいから、穏やかなものに変えていきたいですね。
京都市も駐車場やビル・マンション、ちょっと多すぎる気がします。
京都市も大都会。高層ビルは少ないけれど、 人間の利用空間が多すぎる印象 (写真:京都フリー写真素材) |
どんなに科学が発達しても、人は「生きもの」。
「他の生きもの」と共存することでしか、生命をつなぐことはできません。
人間だけに最適化された環境は、長い目で見れば破綻するのではないでしょうか。
*私自身の食料自給率は0(ゼロ)パーセント。さすがにこれはまずい…
都市における「農的暮らし」って、どんなもの?
こういう取り組み、してみたい↓
(ドキュメンタリー映画『都市を耕す~エディブル・シティー』)
「UターンにIターン、わが町への移住者求む!」という話、よく見聞きしますが…。
私自身は都市生活者ということもあり、「人間(ホモ・サピエンス)ではない生きもの」に、もっと移住してきてほしい。
移住者(ヒト以外)、大募集!
…っていう活動を担ってくれる人=ホモ・サピエンス、どこかにいないかな?
人任せにせず、あなた(コーゾー)自身がまず動きなさい、ということかもしれませんね。
それでは、また!
コーゾー
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