※まずは【前編】から、お読みください→(こちら)
この【中編】では、「7日間ブックカバーチャレンジ」の4冊~6冊めをご紹介。
改めて振り返ると「私の選書、なかなかナイスじゃん!」と感じます(自賛)。どれも「世界観を豊かにしてくれる本」ばかり。
最近、書店に行くと「あなたは、そのままでいいんだよ」的な自己啓発本(自己慰安本?)をよく目にしますが、
「そのままのあなたでもいいけれど、認識の幅を広げるだけで、世界はずいぶん豊かに感じられるよ」と思わせてくれる本を、これからも読み続けたいデス。
それでは、元気よく行ってみよう!
4) ユクスキュル/クリサート『生物から見た世界』(岩波書店)
こちら、「認識におけるコペルニクス的転回(byカント)」を促すための、最適な1冊。ほんと、世界の見え方が変わりますョ。
本の内容をひとことで言うと、「生きものは、同じ『環境』に身を置いていても、それぞれまったく異なる『環世界(独:Umwelt)』を持っている」ということ。その事例紹介が、ダニ(にとっての「環世界」)に始まって、ウニにヤドカリ、鳥やイヌ、クマ…と、この薄い冊子の中に盛りだくさん。
ん? 環世界って? 要するに「その生きものが、その生きものにとって意味のある事象(のみ)によって作り上げる、その生きものだけの認識世界」のこと。
その一例として「イヌにとっての部屋」「ハエにとっての部屋」「ヒトにとっての部屋」の比較をしています。
同じ部屋に居たとしても、それぞれ「意味あるものとして知覚が捉える対象」が、まったく違う(=環世界が異なる)。ハエにとっては「ランプの灯り」と「テーブル上のお皿に盛られた食べもの」以外の情報は、まったく意味を持ちません(知覚センサーが認識しない=環世界に含まれない)。
これ、ごく当たり前のように聞こえるかもしれませんが…。そんな人こそ、一度はこの本に目を通してみてください。
日常において私たちは、目の前の動物の行動様式を把握しようとするとき、「その生きもの独自の認識世界(環世界)が存在することに、全く思いが及んでいない」という事実に気づくでしょう。
本書の豊富な図版のうち、1つだけ挙げてみます(最後に登場する図版)。
画面の中央やや左、望遠鏡をのぞきこんでいる天文学者が見えますか? その周囲には彼/彼女ならではの、豊かな環世界が広がっていますね。
さて、あなたは日々、どんな環世界を描いて生活しているでしょうか。
訳者(動物行動学者の日高敏隆)による“あとがき”も、含蓄に富んでいます。
「人々が『良い環境』というとき、それはじつは『良い環世界』のことを意味している。環世界である以上、それは(知覚する)主体なしには存在しえない。それがいかなる主体にとっての『環世界』なのか、それがつねに問題なのである。」
5) 宇田川元一『他者と働く』(NewsPicks)
『生物から見た世界』を紹介したなら、次はこれ。人間(という生きもの)の社会において、「協働して事を成すこと」を促進する/妨げる要因を、それぞれの脳内にある「認識のズレ」から説き起こした本です。
「“わかりあえなさ”から始める組織論」という副題が秀逸。平田オリザ氏の著作にも通じますね。
本書で頻出する2つの重要概念は「ナラティブ(narrative, 物語)」と「ダイアローグ(dialogue, 対話)」。
曰く「それぞれの人の中には、それぞれ固有の『物語』が存在している。もしも社内トラブルが『論理的・技術的な方法』で解決できない場合、それはほとんど『物語の構造の差異(ズレ)』に起因している。ゆえに、そのズレを認識するための『観察』と『対話活動』が重要になってくる…」といった内容です。
さて、この本を改めて読み返すと、「これから社会に出る10~20代前半の人には、あまり役立たないかも?(※)」という考えが頭をよぎりました。というのも、今後一般的になっていくであろうジョブ型雇用においては、プロジェクトに関わる人それぞれの「物語」に配慮する必要性は、さほど高くないと推察されるからです。
ただ、仮にそうであっても、親しい友人や家族(パートナー)といった「関係性の解消が考えにくい相手とのコミュニケーション」に対しては、たいへん有効な視座を与えてくれます。
(※医療や介護職、学校教育、ソーシャルワーカーといった「対人支援業」は別です。相手のナラティブに寄り添うことは、仕事をするうえでの大前提。また、一般企業でも「若者を雇う側」の、おじさん・おばさんたちは意識したほうが良さそうです)
とにもかくにも、経営論の書物としては異色の1冊。いまだメンバーシップ型雇用が主流の、日本ならでは?
「自分のナラティブ(物語)を脇に置き、対話を通じて相手のナラティブに寄り添う」といった心理学的アプローチが、組織の課題解消法としてクローズアップされるあたり、きわめて「日本的」と言えるかもしれません(海外のことは知りませんが)。
6) 影山知明『ゆっくり、いそげ』(大和書房)
今回取り上げた7冊のうち、もっとも要約が難しい本!
それもそのはず、これは著者の影山さん(元マッキンゼー、現在はカフェ店主)が展開している
「『新しい経済』(=人のつながり)に向けた、さまざまな実践活動の記録」
…だから。
「アクションしてから、その行為の意味を考える」といったことの繰り返しなので、むしろ1冊にまとまっているのが奇跡、と思えます。
そこで安易な要約はやめて、まずは章立て(全7章)を記載してみます。そうすることで「著者はいったい、何を課題としているか?」が見えてくるはず。
第1章 1キロ 3,000円のクルミの向こうにある暮らしを守る方法
第2章 テイクから入るか、ギブから入るか。それが問題だ
第3章 お金だけでない大事なものを大事にする仕組み
第4章 「交換の原則」を変える
第5章 人を「支援」する組織づくり
第6章 「私」が「私たち」になる
第7章 「時間」は敵か、それとも味方か
こんな感じ。
本書の副題が『カフェからはじめる、人を手段化しない経済』というのも、現在主流の経済活動(ビジネス)がもっぱら「人を手段化している」という、影山さんの問題意識から発したものと理解できますね。
「ファスト経済」と「スロー経済」の両方を知悉する影山さん、その視点は、私(たち)の固定観念に固まった脳みそを、やさしくほぐしてくれます。
第6章「『私』が『私たち』になる」というのは、私(コーゾー)自身がこの数年間、最大の課題としていること。
「どう生きる?」の前に考えたい、「誰と生きる?」「どの土地で生きる?」
本書から、印象的な部分を引用してみます。
(手を加えたくなかったので、長い引用となることをお許しください)
「私たち」とは、どこまでか
ぼくやクルミドコーヒーのこれまでの経緯は、まさに「私たち」
2008年1月、ぼくは一人だった。
2月4日、「カフェ マメヒコ」の井川さんと出会う。
やがて、吉間君に会い、古橋君に会い、北村さんに会う。
こうして1人だった「私」は、他の「私」と出会い、少しずつ「
10月1日、クルミドコーヒーのオープン。
2年目、3年目、4年目……。
そして2012年、地域通貨「ぶんじ」
今やときには、その「私たち」のイメージとして、
「私たち」が広がるということ――それはすなわち「私」
たとえば今、ぼくは西国分寺に対して愛着を感じている。
そして、この愛着は最初からあったものではない。
そして今では、そうした縁や関係性は、
(引用おわり)
さて、この文章からあなたは何を感じましたか?
…と、当ブログの読み手をほったらかしにして、この項目を締めたいと思います。
「クルミドの朝モヤ」、こんどオンラインで参加してみよう。 https://ameblo.jp/kurumed/
(後編につづく!→【こちら】)
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