7日間ブックカバーチャレンジ【前編】

2021年5月15日土曜日

t f B! P L

 昨年のいまごろ、home's vi の”さよぽん”(山本彩代さん)からお誘いが。

「コーゾーさん、『7日間ブックカバーチャレンジ』やりません?」…ほうほう。

なんでも、

 ・毎日1冊ずつ、おすすめ本の表紙をfacebookに投稿

 ・選書の理由は、添えても、添えなくても(添えても、短いコトバで)

 ・毎回(=投稿のたびに7日間)「次はよろしくね!」と、誰かにバトンを渡す

…ということらしい。

(そのとき、”さよぽん”が推してた本はこちら

なるほど、コロナウィルスで世間が騒いでいるこの時期、むしろ俗塵と喧噪を離れて、考えを整理するのは良いですね。

私は「毎日、誰かにバトンを渡す」というルールは採用せず(※)、代わりに「7日間の投稿がすべて終了したら、1名だけ指名する」という形で、参加することにしました。

※だってこれ、参加者をネズミ講式に増やすための手段であって、「バトンを渡す」とは言わないでしょう?

今回の選書テーマは

「10年前(2010年、35歳)の自分に手渡したい7冊」です。

未来に明るい兆しをまったく見出せず、五里霧中の状態だった10年前。

そんな自分に「こういうのを読んどくと、軽佻浮薄な言説に振り回されず、しっかり歩いていけまっせ」と伝えたい。

それでは、元気よく行ってみよう!

(それぞれのコメントは、今回書き足したものです。けっこう長いのでご注意ください。)


1)小林秀雄、岡潔『人間の建設』(新潮社)

 まずはこれ。数学者・岡潔と、評論家・小林秀雄による「最強の雑談(本書の帯より)」。
 ”憂国の教育者”たる岡に小林が問う、「美的感動を味わうことができる人間を育てるには?」…ま、そんなような内容です。

 印象に残ったやりとりを。
 
 小林「ピカソという人は、仏教でいう無明(むみょう)を描く達人であるということを(岡さんは)書いていましたね。私もだいぶ前ですが、同じようなことを考えたことがある。」

 岡「(ピカソは)男女関係を沢山かいております。それも男女関係の醜い面しかかいておりません。あれが無明というものです。」

 小林「無明をかく達人である、その達人というものはどうお考えですか。」

 岡「それほど私はピカソを評価しておりません。ああいう人がいてくれたら、無明のあることがよくわかって、倫理的効果があるから有意義だとしか思っておりません。ピカソという人は、無明を美だと思い違いしてかいているんだろうと思います。」

(下線を引いたのは私=コーゾー。こういう印象、私もしばしば抱きます)

 ただし、私は岡とは違って「ピカソは、『美』というものを勘違いした人」とはよう言いません…。「世界の捉えかた・表現のしかた」において、ピカソはやはり顕著なユニークさを備えた芸術家でしょう。

 まぁ、美の評価は人それぞれ、ということで。

 岡潔と小林秀雄、美意識の探求に生涯を費やした2人。「最強の雑談」という看板に偽りなし、めっちゃ刺激的ですヨ。

 まだ読んでいない方、ぜひどうぞ。


2) 内村鑑三『デンマルク国の話』(岩波書店)


 明治から大正にかけて活躍したキリスト教思想家/ジャーナリストの内村鑑三。

 彼の講演録としては『後世への最大遺物』(1894年)が有名ですが、私が若い人たちにオススメしているのは、この文庫本に併載されている『デンマルク国の話』(1911年)。副題は「信仰と樹木とをもって国を救いし話」。

 敗戦により荒れ果てたデンマルク(=デンマーク)を再興に導いた、救国の英雄の物語です。こんな一節から始まります。

 「今を去る四十年前のデンマークはもっとも憐れなる国でありました。1864年にドイツ、オーストリアの二強国の圧迫するところとなり、その要求を拒みし結果、ついに開戦の不幸を見、デンマーク人は善く戦いましたが、しかし弱はもって強に勝つ能はず、デッペルの一戦に北軍敗れてふたたび起つ能わざるにいたりました。」

 戦勝国(ドイツ)への賠償として、もっとも豊かな2州(シュレースヴィヒとホルスタイン)を割譲。ホルスタインって、あの高品質な乳牛の産地として著名なところ。当時のデンマークは、内村が言うところの「牛乳をもって立つ国(=酪農が、国の基幹産業)」だったわけですが、その最良の土地を奪われ貧窮の極みにありました。

 ここで、工兵将校のダルガス(Enrico Mylius Dalgas、1828-1894)が立ち上がります。うなだれる戦友たちに、彼はこう語りかけました。
「われらは外に失いしところのものを、内において取り返すをべし、君らと余との生存中にわれらはユトランドの曠野(あれの)を化して、薔薇の花咲くところとなすを得べし。」

 ここから、国家再興に向けたダルガスの地道な努力が始まります(具体的には、科学的な知見に基づく営林事業のスタート、その果実としての経済再生)。その詳細は、本文を読んでいただくとして…。

 内村は『後世への最大遺物』において「人間が後世に遺すところのできる、真に価値あるものは何か?」という問いを立て、みずからこう述べています。

 「私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば、勇ましい高尚なる生涯であると思います。」
 彼のこの言葉は有名ですね。その顕著な具体例として、内村自身の言葉で「英雄・ダルガスの物語」に触れることは、得られること多なりと確信します。

 「我、いかに生くべきか?」と迷える若者に向けて、内村鑑三の熱いパワーがほとばしる講演録『デンマルク国の話』。青空文庫でも無料公開していますので、いちど触れてみてはいかが?


3) 横石知二『そうだ、葉っぱを売ろう!』(SBクリエイティブ)

 さて3日目。当初はまったく別の本を紹介する予定でした。

 ところが、前日に『デンマルク国の話』を読み返したところ、「現代の日本にも、”ダルガス”に比肩する勇気と実践の人物が、居るのでは?」という想いにかられました。

 そして、書棚から引っ張り出してきたのがこちら。たしか、テレビ局でビジネス番組を作っていた頃に、資料として(自費で)購入したもの。

 徳島県の山間部で「葉っぱビジネス」という新しい産業を興した横石さん。酪農から林業への大転換を果たしたダルガスの姿が、かぶって見えます。


横石知二氏

著者の横石知二(よこいし・ともじ)氏

株式会社いろどり Webページより)


 1981年、当時は農協の若手職員(営農指導員2年め、22歳)だった横石さん。その年の冬、上勝町(かみかつちょう)は猛烈な寒波に見舞われ、基幹産業だったミカン栽培がほぼ全滅という大打撃を受けます。

「なにか、ミカンに代わる主力商品を育てなければ…。」

 その後の数年間、さまざまな試行錯誤を経て、椎茸、ワケギといった作物への転換を進めていきました。けれど、まだ「これ」といった決め手にはならない。

 そんなあるとき(1986年)、出張先での横石さんの「ひらめき」が、上勝町に奇跡をもたらします。少々長くなりますが、本文から引用しましょう。

====

シイタケの栽培を始めて、農家の仕事は一年中回るようになった。しかし、当時は原木(げんぼく)シイタケばかりで、重い原木を扱うのには力が要る。実際シイタケを手がけていた上勝の農家は、40代までが6割を占めていた。

そのため私は、女の人やお年寄りにもできる仕事は何かないかなあと、いっそう頭をひねるようになった。町じゅうの一人ひとりに仕事があれば、それぞれの家の収入はもっと安定する。ひまだからと酒を呑んだり、悪口を言ったりしないように、みんなが忙しくなって稼げるようにするためには、どうすればいいのか。

このことを四六時中、頭の中で考えるようになった。

(中略)

昭和61年(1986年)10月のその日も大阪大果(おおさかだいか、卸売業者)に納品に行った帰りだった。農協の同僚と、大阪大果の村田さんと晩御飯でも食べようと、難波にある「がんこ寿司」に立ち寄った。

私たちがあれこれしゃべりながら一杯やっていると、斜め前のテーブルで若い女の子3人が、やはり楽しそうに食事をしているのが目に入った。
(女子大生……かな)
「こっちも3人、向こうも3人、ちょっと声かけてみよか」
お酒も入って陽気な村田さんに、いたずらっぽくそう言われた私は、そんな気もちょっぴり起きて、余計にしげしげと女の子たちを見つめた。

すると、その中の一人の子が、出てきた料理についている赤いモミジの葉っぱをつまみ上げて、大喜びしたのだ。
「これ、かわいー、きれいねー」
「水に浮かべてみても、いいわねー」
別の子は、その葉っぱをグラスに浮かべて喜んで見ている。
「持って帰ろう」
最初の女の子はバッグからピンク色の、アイロンがきちんとかかった、きれいなハンカチを取り出し、真っ赤なモミジの葉っぱをその上に、そうっと置いた。
(これが、かわいい?)
私には不思議に思えた。
(こんな葉っぱが?)
モミジの葉っぱなんて珍しくもなんともない。自分の料理にも付いてきた葉っぱをとりあげて、しみじみと眺めた。(こんな葉っぱ… 上勝の山に行ったら、いっくらでもあるのに…)

そう思った次の瞬間、ピッ!とひらめいた。
そうだ、葉っぱだ! 葉っぱがあった!
葉っぱを売ろう!

葉っぱなら軽いから、女の人やお年寄りでも扱いやすいし、何より上勝の山にいくらでもある。
ものすごいひらめきに電撃に打たれたように体が硬直し、次に興奮で胸がドキドキした。「これはいける」

早速、店の人に尋ねてみた。
「こ、この葉っぱは、どこから仕入れよるんですか」
「葉っぱ? ああ、こういうつまものは、料理人が山へ行って、採ってくるんですよ」
「ツマモノ……ですか」
私は「つまもの(妻物)」という言葉を、28歳のそのとき初めて知った。
村田さんにも尋ねてみると、市場にこんなつまものを卸しているところは、まだどこもないようだった。
「これはいけるぞー」
この大発見に興奮し、店を出てからもずっとドキドキしたままだった。鼻息も荒く、大阪から高速船に乗って徳島に飛んで帰った。

====

 うんうん、横石さんの「ひらめきの瞬間」の興奮が、伝わってくるようですね。

 もちろんこうした「ひらめき」は、あくまでもスタート地点。その後の紆余曲折は、本当に大変なものと相場が決まっておりまして…(というのは、私も経験ずみ)。

 とにもかくにも、「どこにでもあるような田舎の、1人の青年が巻き起こした物語」は、シンプルに勇気を与えてくれます。特に中高生くらいのお子さんをお持ちのご家庭に、おすすめしたい1冊です。


…以上、「10年前の自分に読ませたかった7冊」、3冊目までをご紹介しました。

中編へつづきます。→【こちら

(全3回を予定)

QooQ