京都と本とエコと私(『エンデの遺言』)

2020年6月8日月曜日

t f B! P L
あるWebサイト(※)に寄稿した文章が、サイトごと消滅していました。
ずいぶん気合い入れて書いたのにナー。なんか寂しいので、ここに転載します。

転載許可はもらってないけど、別にいいでしょう(ダメ? ダメならすぐやめます)。
「著作権の帰属は執筆者ではなく、サイト運営側です」とは言われてないし。
担当者さん「お礼に粗品を送ります」と言っていたのに、5年たっても届いてないし(笑)

*「ぼちぼちと京都」という名のWebサイト、運営主体は京都府でした。私の執筆・掲載は5年前(2015年)の、ちょうど今ごろ。

京都と本とエコと私

Vol.031『エンデの遺言〜根源からお金を問うこと』

こころとおかねの研究所 コーゾーさん
  Photo by Dai KATAYAMA

 2011年6月のこと、10年あまり勤めた職場を離れた。今後の身の振り方に「アテ」があったわけではない。ただ「同じことを続けていてはダメだ」という直感に、素直に従ってみた。3ヶ月前に起こった東北地方の震災は、身近に被災者が1人もいない私にさえ、強い影響を与えていた。

  それまでの仕事は、テレビ番組を作ること。紀行番組、美術番組、歴史番組…。「暮らしに潤いを与える仕事」と言われたりもするが、正直なところ、誰かの役に立っている実感はなかった。単純に、私の実力不足もあっただろう。ならば今からでも、実力を発揮できる仕事を見つける責任がある。自分の人生に対する責任。

  まずは自分が最も活きる場所として、学生時代を過ごした京都へ移住。ほどなく、大きなテーマは定まった。「お商売を通じてお金の循環を促し、志を持って働く人たちが報われるようにしたい」。それまでの私は「お金もうけ」に対する偏見があったのだが、「それぞれの人や組織が、得意なことで他者に貢献する。その評価の証(あかし)として、お金をいただく」ということの健全さに、遅まきながら惹かれたのだ。

  そんなわけで、これまで縁のなかった経済学や経営学を学ぶことにした。MBA(経営学修士)の人たちが手にするような本を数十冊、自分なりに咀嚼していったのだが…。 どんなに経済や経営の理屈を学んでも、解けない謎が残った。

  「『お金』という道具って、いったいどんな性質を持つのだろう?」

  経済活動における、評価尺度としてのお金。その存在は(「存在」の定義はさておき)、私たち1人1人の意識や行動にどんな影響をもたらすのか。この部分を理解しないままでは、「お金を循環させる」というテーマじたい、人生をかける意義があるのか自信が持てなかった。

  そんなとき出会ったのが、この本だ。1999年放送の特集番組(NHK)を下敷きに、取材班の手で書かれたもの。

(書籍情報は→こちら

 本書で提示されている警告、ざっくりいえば「現在の金融システムは、それ自体が過度の膨張志向を持ち、地球環境の持続性に懸念を与えるほどの影響力を持つ」という分析は、私の認識とも一致するものだった。また、こうした懸念をすでにファンタジーの世界に描き出していた、童話作家ミヒャエル・エンデ(Michael Ende, 1929-1995)の慧眼にも驚かされた。

  そして「人々のあいだに、温かな交流を促すための独自貨幣(コミュニティ通貨)の創造」という挑戦が、過去も現在も多くの有志によって試みられ、それが一定の成果を上げていることは、これから“未来を築く事業の当事者たらん”とする私を、強く勇気づけてくれた。

  「京都でコミュニティ通貨の創造を!」といった大きなテーマを手がけるのは、現実にはずっと先のことだ。しかし「お商売を通じて温かな交流の輪を広げる」という、これまでの生き方とは異なる道を行く決心、それを揺るぎないものにしてくれた大切な1冊である。

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 はい、実際に書いたのはここまでなんですが。

 私のPC、「あるキーを2回叩いたら自動翻訳」という設定にしているため、気づいたら英語に翻訳されていました(笑)。消すのも勿体ないので、そのまま貼り付けます。

 末尾にちょっとした「気づき」があるので、さーっと読んでいただけると嬉しいです(変な英語でも怒らないでね、私のせいじゃない)。

【以下、DeepLという翻訳ソフトによる英訳】

 In June 2011, I left the company I had worked for over 10 years. I didn't have any perspective on how to conduct myself in the future. I just went with the gut feeling that "I can't keep doing the same thing". The earthquake and tsunami in the Tohoku region had a strong impact on me, even though I didn't have a single victim close to me.

 Until then, my job was to make TV programs. Travelogue, art , history, and so on. Some people call it a job that enriches people's lives, but to be honest, I never felt that my work was helping anyone. There would have been a simple lack of competence on my part. Then I have a responsibility to find a job that will allow me to demonstrate my abilities now. Responsibility for my life.

 First, I moved to Kyoto, where I spent my school days, as the place where I could make the most of my time. Soon after, I decided on the theme I was going to work on. "I want to promote the circulation of money through business and reward those who work with ambition".

 Previously, I had the prejudice against making money. However, each person or organization contributes to others through what they are good at, and as proof of that evaluation to receive money. I realized belatedly that this in itself was a very legitimate thing to do.

 That's why I decided to study economics and business administration, something I had never done before. I made an effort to read and understand dozens of textbooks in depth in my own way, but... No matter how much I learned about the theory of economics and management, there was still a mystery that I could not solve.

 What is the nature of this tool called 'money'?

  Money as a measure of evaluation in economic activity. What impact does its existence (aside from the definition of "existence") have on the consciousness and behavior of each of us? What does it bring to human-beings? It seemed to me that unless I got rid of this question, I wasn't sure that the subject of "circulating of money" itself was worth spending my life on.

 Then I came across this book, based on a special NHK television program that was broadcast in 1999. 

 The warnings presented in this book, roughly speaking, the analysis that "the current financial system is itself over-expansionist and has enough influence to raise concerns about the sustainability of the global environment," were in line with my perceptions.

 I was also surprised by the wisdom of Michael Ende (1929-1995), a writer of fairy tales, who had already depicted these concerns in his fantasy world.

 The fact that the challenge of "creating a unique currency (community currency) to promote warm exchanges between people" was and still is being attempted by many volunteers, and that it has achieved a certain level of success, has given me great courage as I seek to be a party to the project to create the future.

 Creating a Community Currency in Kyoto! In reality, it will be a long time before I can work on such a big theme as "The World's Best Business". However, the impact of this book has had on me is immeasurable, as it hints at the possibilities of such initiatives.

 This is a very important book that has shown me a completely different way of life, a life of expanding the circle of warmth and exchange through business.

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さて、こうやって英訳を眺めてみると、意外な収穫が。

私・コーゾーは、人間(Homo Sapiens)という「認知バイアスのカタマリのような生きもの」への関心が、人一倍強い。そんな私にとって、現在まで続く問題意識・解き明かしたいナゾが、はっきりと見えてきます。

What is the nature of this tool called 'money'?
(「マネー」という、人類が作り出した道具は、いったいどんな性質を持つのか?)

*貨幣がいわゆる「共同幻想」(人間が勝手にイメージ上で作り出し、広く共有された虚構)であることからすると、「性質」の訳語が「nature」なのはどこか違和感があります。でも、他に適切な訳語が思いつかないので(そして、なんだか面白いので)そのままにしておきます。

私は法学を学ぶ以前、某大学で人文学を学んでいました。「貨幣とは何か?」という問いは、これこそまさに人文学。

「人間が集団生活を営むため、共有イメージとして創造した概念」ですから、「言語学」や「宗教学」、あるいは「哲学(…の中の、認識論や記号論)」と並行して学ぶのが望ましい、壮大なテーマだと思います。
*ちなみに私自身は、E.カッシーラーが大好きです(理解している、という意味ではないです)

「貨幣とは何か?」---この問いにストレートに向き合うのは、現代の学問体系からすると「文化人類学」でしょうか。どうも「経済学」ではなさそう。経済学の議論において、貨幣の正統性を疑い出したら、話はまったく先に進みませんからね。

久しぶりに自分の文章を読み返すと、新たな気づきが得られて面白いですね!

最後のほうで"Creating a Community Currency in Kyoto! "(CCCK!)って、叫んでるっぽいのも面白い。 "The World's Best Business"なんていう、大げさな表現もありますし。そんなこと、まったく言っていないのにね。なんか、いい意味で煽られている気が(笑)

これも翻訳の妙(みょう)でしょうか?? めっちゃオモロー。
(DeepLのこと、若かりしころの盟友「新解さん」並みに、愛着が湧きそうです)

それでは、また!

こころとおかねの研究員
 コーゾー

QooQ