「観光」ってなんだろう

2020年5月28日木曜日

t f B! P L
(京都市下京区 高瀬川沿いのあじさい)

そういえば長いこと、旅行をしていない。

COVID-19の流行とは関係なく、ここ数年は「沈思黙考+近場でアクション」を繰り返していて、まったく遠出をしていません。

その証拠に…。

Google(Androidスマホ)が「この1年の、あなたの移動ログ」というのを出してくれますが、2019年のコーゾーは「滋賀・京都・大阪・奈良」しか行っていなくて、我ながら驚きました。

「おいおい、中学生かよ!」と。

(一番遠かったのが、京都府の舞鶴市役所でした)

これでは「元KS学園・鉄道研究部員」の名折れですな。ま、べつにいいんですが。

では、今ならどこに行きたいか?
パッと頭に浮かんだ3箇所を挙げます。

1)おめぐり庵(愛媛県西予市)
 (友人夫妻が経営する、いろんな意味で「手作り」のお宿です)

2)アズワン鈴鹿コミュニティ(三重県鈴鹿市)

3)べてるの家(北海道浦河町)

*数字は便宜上のもので、ランキングではありません。

3箇所それぞれ「人に会う」ことが目的ですが、より厳密に言えば

「”人と人”、”人と地域社会”の関係性を学びに行く」というのが、旅の目的になることは間違いありません。

前者の”人と人”は「コミュニティ内部の関係性」、

後者の”人と地域社会”は「そのコミュニティが、いかに外部(*)に開かれているか」、

言い換えれば「コミュニティ内部の共通意思として、外部との関わり方をどのように考え、実践しているか」ということ。

*「外部」=「物理的には『近所』だが、価値観や行動原理を共有していない人たち」という意味。価値観を共有しなくても相互理解は可能(意志さえあれば)というのが前提です。

最近はもっぱら、こういうことに関心が向いています。
法学部政治学科卒業生の鑑(かがみ)ですね!?

こうなると、私がしたいのは「旅行」ではなく、もっぱら「観光」。

「旅行」の目的が「非日常体験をすること」だとすれば、
「観光」とは文字通り「光を観ること」、

その土地に根付いた「光輝くもの」… みずからの生活圏に持ち帰ることのできる、知恵や工夫が湧いているところに出かけていき、その「光」を保つ・磨く努力を続ける方々との対話活動から、学びを持ち帰ること。

(これ、コーゾーの勝手な定義ではなく、「観光」という和製語の語源と、ほぼ同じことを言ってます)

ゆえに「観光」は、「自分の拠って立つ地盤がどこにあり、そこに何を持ち帰りたいのか」を明確にすることで、よりいっそう意義が深まるはず。

地盤作りのほうも、コツコツがんばらないといけません(がんばりまーす)。

#####

最近では、”コミュニティと自然環境との関わり”にも、強い関心を持っています。上に挙げた3箇所のほかにも、行きたいところはこれから出てくるでしょう。

たまたま今朝、同じ団地の方にご挨拶したとき、その方がおっしゃっるには
「今日、移住相談をしに、このあたり(↓)に行くんです」と。

(滋賀県高島市針江 生水(しょうず)の郷)

高島の針江地区。私も「すぐ行ける・いつでも行ける」と機会を逸していましたが、今年はどこかのタイミングで行ってみよう。

びわ湖高島観光協会 フォトライブラリより)

ただ私自身は、高島のような「水清き里」への移住はしないと思います。強い憧れは、ずっと抱いているものの。

どうしても「公人(こうじん)」の意識を捨てられない私は、人生のテーマとして「荒れ地を、緑のオアシスに」というのがお似合い、そんな気がしているのです。

今はね。ずっと先のことはわかりません。

今はただ「こう考えています」ということだけ、書き留めておきます。

(地盤づくり、地盤づくり、、、と、呪文のように)

それでは、また!

コーゾー

QooQ