yaplog!が間もなく廃止されるそうで、残したかった記事を1つだけこちらに転載します。
今から9年前、2010年11月25日に投稿したものです。
※したがって、ここでの「15年以上前」というのは、1990年代(前世紀!)のことを指します。念のため。
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もう15年以上も経つというのに、大学の入学試験(2次試験)の内容は、かなり明瞭に覚えています。
筑波大学人文学類、1993年の論文試験のテーマは「パラダイム・シフト」について。受験の緊張感などというものはなく、本当に「へえ!」とおもしろがりながら解いていました。ある実験の記述がメインです。
目の前の相手(被験者)に「今から出すトランプを見て、どんな札だったかをすぐに答えて」とだけ言う。しばらくは本物のトランプを短時間にパッパッと出しては隠す、ということを繰り返す。「クローバーの8」「ハートの2」「ダイヤのクイーン」…
相手は「なんだ、ふつうのトランプじゃないか」と安心して、反射的に答えていく。
やがて、同じトランプの束から「赤いスペードのエース」というのを前触れなく出す。回答が無くてもすぐに隠す。すると、それまで順調に答えていた相手は「あれ? 今のは何だ?」と、一時的に混乱状態に陥る。「なんで黒くないんだ?」…でも次からは、またふつうのトランプが出てくる。
しばらくすると「黒いハートのクイーン」なんかが出る頻度が上がり、やがて被験者も「ああ、そういうことか!」と腑に落ちる。…そんな感じの「常識が転換する体験=パラダイム・シフト」についての考えを問う論文でした。
人は知らず知らず「この形(マーク)なら、必ずこの色だ!」と、勝手に思い込んでいるわけですね。そうでない状況に身を置くと、戸惑ったりイライラしたり。でもそのイライラの原因は、その人の脳内に染み付いた、普遍的とはいえない「常識」に過ぎない。
人類は過去に何度も、根深い常識が切り替わる経験をしてきたけれど、私たちの日常にはまだまだ「転換前」の固定観念が潜んでいる、、、そんな内容だったと記憶しています。
人は知らず知らず「この形(マーク)なら、必ずこの色だ!」と、勝手に思い込んでいるわけですね。そうでない状況に身を置くと、戸惑ったりイライラしたり。でもそのイライラの原因は、その人の脳内に染み付いた、普遍的とはいえない「常識」に過ぎない。
人類は過去に何度も、根深い常識が切り替わる経験をしてきたけれど、私たちの日常にはまだまだ「転換前」の固定観念が潜んでいる、、、そんな内容だったと記憶しています。
「パラダイムシフト」という概念、というより感覚は、その後の学生生活(=学問をする上で、という意味)でも非常に役に立ちましたし、今も折りに触れて意識するようにしています。
「この課題を解決するには、思考の枠組み(パラダイム)を切り替えないと無理なのでは?」というように。
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さて、それから2年後…
私は別の大学の入試を受けることになります。舞台は京都。
2教科めだったか、数学の試験前に、監督官の方がこんなお話しをしてくれました。
(以下、太字はすべて京都イントネーションに変換してください)
「あんな、さっきの国語の時間も『受験の際の注意』って読んだんやけど、毎回読まなアカン決まりやねん。かんにんな(堪忍な=ごめんなさいね)。行くで。…ひとつ、回答はすべて日本語で答えること。…ん?」
(「なになに?」 受験生の間にも、不安と緊張が走る。)
「これ、去年も不思議に思ってん。数学やったら x (エックス)とか y(ワイ) とか使うやろ? あれって日本語か?」
(「ふむふむ」 … なぜか話に聞き入る受験生たち。)
「キミたち、法学部に入りたいんやろ。せやったら法律家のタマゴらしく、甲とか乙とか使ってみたらどうや。…でも+(プラス)とか-(マイナス)とか、どない表現したらええんやろな。まずは用語の定義から始めて、その上での論理構成力が試される、ちゅうことかも知れんな。」
(「えーーー! どないせいっちゅうねん!」 みんな思わずツッコミを入れたくなる。)
「…ま、どうなってもワシは知らんから、テキトーにしてくれはったらええわ。」
(会場、どっと爆笑。) ←実話です。
こちらの試験監督の先生、あとで知ったのですが、国際政治学の高坂正堯(こうさか・まさたか)教授という、非常に高名な方でありました。その時点で私は存じ上げなかったのですが、主に関西のテレビを中心としたメディアでは「当代きっての保守の論客、そして熱狂的な阪神ファン」として有名だったそうで、数学のテストが終わったあとには「さすが、高坂教授はちがうな~」という声が、そこかしこから上がっておりました。
高坂 正堯
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高坂教授の「安全保障論」を肯定する・否定するのとは別の話として、現実社会の難問に立ち向かうには
「染みついた前提を疑ってみる」
↓
「『こういうやり方もある』とイメージする」
↓
「知的ユーモアを交えて相手に伝える」
そういったことが重要だと、それとなく教えてくださった気がします。
この出来事もまた、私にとっては「パラダイム・シフト」のきっかけとなりうる、創造的な体験でした。…とはいえ私は冒険家ではないので、 x と y を使いましたけどね。
高坂教授は、我々が2回生の時(※注:1996年5月)に、急病でお亡くなりになりました。
「えっ!? 高坂先生のもとで学ぶことができないのか!」と、落胆していた学生たちの姿をよく覚えています。お亡くなりになった直後、「国際政治学」の講義を代講されていた中西寛先生(現・京大大学院教授)が、ふだんはクールな方に見えるのに、教壇上で恩師への想いを語りながら大粒の涙を流しておられたことも、また思い出されます。
「前提を疑え!」…だってそうしないと、僕らはただ与えられた「作業」だけをして、受け身で生きることになっちゃいますからね。
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