思い込んだら、試練の道を(歳末に寄せて)

2017年12月31日日曜日

t f B! P L
精神科医 V.E.フランクルが言うところの「人生の意味への意志」について、最近よく考えます。

 「人生には意味があるか」と考えること、それじたいはおそらく、結論の出ない作業でしょう。
 (”無駄な作業である”とは、決して言いません)

結局のところ、

「私は、こうした人生を送ることに意味があると”考えることにした”」

…と、身勝手に決めてしまうほかはないですね。

誰が何と言おうと、”思い込んだ人(思い込めた人)の勝ち”。

我が身を振り返れば、10代後半〜20代にかけて、私にはそうとうな「思い込み力(りょく)」があったように思います。

(当時の私を知る方々は、よくご存知でしょう?)

ところが30代後半あたりから「ああでもなく、こうでもなく」と、逡巡することが増えました。

なぜだろう? 妙に計算高くなっちゃったのかな? 周囲の意見に耳を傾けすぎたのか。

「『こう在らねばならぬ』という固定観念に囚われなくなった」という意味では、好ましい側面もあるのですが。

※このブログの副題(平成28年に修正)にも、そうした心境の変化が現れています

そんな私も最近ようやく、「健全な思い込み力」を取り戻しつつあります。

今の私が大切にしたい”思い込み”、それは…

ある地域(=歩いて会いに行けるくらいの近さ)の人たちと手を携えて、足りないものを埋めていく+新しいことを創造していく活動、それを中心になって担う人物でありたい。

この”思い込み”を実らせることが、私の目指す「観光事業(体)」の前提となるのです。

 来年はこの”思い込みの種”を土壌の上にそっと蒔(ま)いて、発芽するところまで持って行きたいところ。

「どの土地に種を蒔くか?」について、ここ数年ずいぶん迷ったのですけれども(そりゃ、そうです。土地の選択しだいで、未来は大きく変わります)、

もう迷うことはやめて「ええぃ、ここだ!」と、ダーツの旅よろしく前に進もうと思っています。

(私の投げたダーツはとりあえず、JR京都駅から見て真西の方角に刺さったもよう)

本年もお世話になりました。直接お会いできた方々とは、とても有意義な時間が過ごせたと思っています。

私の文章を偶然目にして「ぜひこの人(コーゾー)の話を聞きたい!」と、遠くから訪ねてくださる方もいて。嬉しかったですね。

来る平成30年が皆様にとっても、「思い込みの力(ちから)」が実感できる年となりますよう。

「『なぜ生きるか』について知る者は、あらゆる形の『いかに生きるか』に耐えられる」    by ニーチェ
 
ではまた来年、笑顔で会いましょう。

コーゾー

QooQ