「人生には意味があるか」と考えること、それじたいはおそらく、結論の出ない作業でしょう。
(”無駄な作業である”とは、決して言いません)
結局のところ、
「私は、こうした人生を送ることに意味があると”考えることにした”」
…と、身勝手に決めてしまうほかはないですね。
誰が何と言おうと、”思い込んだ人(思い込めた人)の勝ち”。
我が身を振り返れば、10代後半〜20代にかけて、私にはそうとうな「思い込み力(りょく)」があったように思います。
(当時の私を知る方々は、よくご存知でしょう?)
ところが30代後半あたりから「ああでもなく、こうでもなく」と、逡巡することが増えました。
なぜだろう? 妙に計算高くなっちゃったのかな? 周囲の意見に耳を傾けすぎたのか。
ところが30代後半あたりから「ああでもなく、こうでもなく」と、逡巡することが増えました。
なぜだろう? 妙に計算高くなっちゃったのかな? 周囲の意見に耳を傾けすぎたのか。
「『こう在らねばならぬ』という固定観念に囚われなくなった」という意味では、好ましい側面もあるのですが。
※このブログの副題(平成28年に修正)にも、そうした心境の変化が現れています
そんな私も最近ようやく、「健全な思い込み力」を取り戻しつつあります。
来年はこの”思い込みの種”を土壌の上にそっと蒔(ま)いて、発芽するところまで持って行きたいところ。
「どの土地に種を蒔くか?」について、ここ数年ずいぶん迷ったのですけれども(そりゃ、そうです。土地の選択しだいで、未来は大きく変わります)、
もう迷うことはやめて「ええぃ、ここだ!」と、ダーツの旅よろしく前に進もうと思っています。
(私の投げたダーツはとりあえず、JR京都駅から見て真西の方角に刺さったもよう)
本年もお世話になりました。直接お会いできた方々とは、とても有意義な時間が過ごせたと思っています。
来る平成30年が皆様にとっても、「思い込みの力(ちから)」が実感できる年となりますよう。
「『なぜ生きるか』について知る者は、あらゆる形の『いかに生きるか』に耐えられる」 by ニーチェ
ではまた来年、笑顔で会いましょう。
コーゾー
そんな私も最近ようやく、「健全な思い込み力」を取り戻しつつあります。
今の私が大切にしたい”思い込み”、それは…
ある地域(=歩いて会いに行けるくらいの近さ)の人たちと手を携えて、足りないものを埋めていく+新しいことを創造していく活動、それを中心になって担う人物でありたい。
この”思い込み”を実らせることが、私の目指す「観光事業(体)」の前提となるのです。
来年はこの”思い込みの種”を土壌の上にそっと蒔(ま)いて、発芽するところまで持って行きたいところ。
「どの土地に種を蒔くか?」について、ここ数年ずいぶん迷ったのですけれども(そりゃ、そうです。土地の選択しだいで、未来は大きく変わります)、
もう迷うことはやめて「ええぃ、ここだ!」と、ダーツの旅よろしく前に進もうと思っています。
(私の投げたダーツはとりあえず、JR京都駅から見て真西の方角に刺さったもよう)
本年もお世話になりました。直接お会いできた方々とは、とても有意義な時間が過ごせたと思っています。
私の文章を偶然目にして「ぜひこの人(コーゾー)の話を聞きたい!」と、遠くから訪ねてくださる方もいて。嬉しかったですね。
来る平成30年が皆様にとっても、「思い込みの力(ちから)」が実感できる年となりますよう。
「『なぜ生きるか』について知る者は、あらゆる形の『いかに生きるか』に耐えられる」 by ニーチェ
ではまた来年、笑顔で会いましょう。
コーゾー
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