銭湯で毎晩のようにお会いしていた、私と同年代のお兄さんが亡くなったという。死因は癌。
いつも陽気で、(京都の男性としては珍しく)私の5倍くらいおしゃべりで、とても楽しい方だった。
体格の良い方なのでとてもご病気には見えなかったのだけれど、思えば私が最後にお会いしたころには(入院される前、たしか2月ごろ)、流し場の鏡の前で時折、ものすごく顔を歪めておられた。でも私は「あれ、腹痛かな?」と思う程度で、それが患部の痛みによるものとは気づかなかった。
番台のおっちゃん曰く
「今年に入ってからはめっちゃ痛かったらしい。風呂に入る前にも、痛み止めを飲んどった。」
お名前は知らない。けれど本当にいろんなところでお会いした。…といっても、常に自宅から100メートル圏内の話なんだけど。多い時には、日に3度。
コインランドリーで私が「あちゃ、洗剤を忘れた!」というタイミングにふらっと現れ
「おや、洗剤をお忘れ? 洗濯物を忘れなくて、よかったですねー! 洗剤なら、どうぞどうぞ」
国立博物館(自宅から徒歩10分)の裏手でにわか雨に遭い、雨宿りしているところに再び現れ
「いやー、お洗濯が台無しですなー。こりゃ仕事にもなりまへんなー。」
(あれ、お仕事は何だっけ?…お互い、よくわからない)
そして晩の銭湯で3度目の遭遇。
「おや、博士(ハカセ)、いらっしゃーい。今晩の講義テーマは何でっしゃろ?」
今になって振り返れば、お兄さんの陽気さ・無邪気さの背後には、ご自身の限りある生命を「笑顔」で包み込もうという、強い意識が働いていたのだと思う。
でも、もうあの笑顔には会えないんだね。
私 「寂しいな…。早くノーベル平和賞をいただいて、ご報告したかったのに」
番台のおっちゃん「あんさんの場合は、”イグ・ノーベル賞”ってやつやろ」
私 「せやね、そっちかな。記者会見には、この脱衣場をお借りするね」
おっちゃん「よっしゃ。そんときはご近所さん、みんな呼んだる」
…とかなんとか。不謹慎かもしれないけど、こういう他愛もない話にしないと悲しすぎる気がして。
おっちゃんとこんな会話をしたことも、いつか懐かしく思い出すのだろう。あるいは逆に、思い出してもらったりするのだろう。
そんなことを考えながら眠りについた。
有り難いことに、僕には今日という日も与えられている。感謝。
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