非電化工房に行ってきた

2025年9月24日水曜日

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    ちょうど1ヶ月前の、8月24日。
 念願かなって、栃木県の「非電化工房」に行ってきました。

湖水のほとり、本宅とアトリエ(作業場)

左:藤村靖之さん(工学博士)

敷地の一角にある「非電化カフェ」

現場での興奮が冷めないうちに、近しい方々に向けて、オンライン報告会を行いました(8/31開催)。

その時の資料を、下に貼り付けておきます。

けっこう、気合い入れて作りましたぞう(←こちらをクリック) 

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非電化工房の代表・藤村さんとは「文明を切り替えるための、具体的な道筋」について、深い議論ができました。

ということで、「文明の切り替え仲間」を絶賛募集中!

日本人にとって、直近の文明転換といえば明治維新のころ(1860~70年代)ですが、

そのときと比較すると、ずいぶん穏やかで、のんびりした革命になるはずです。

とはいえ、気候変動の進行スピードを考えると、のんびりしてはいられないんだけどね。

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さて、以下は長ーい追記。

今回、「文明の切り替え」について深く考えるに当たり、まさに“切り替えどき”の中心人物だった福澤諭吉の著書からは、学ぶこと大でした。

福澤諭吉『文明論之概略』
発表は明治8年(1875)、
ちょうど150年前!

本書の中で福澤は、「日本は便宜上(≒止むに止まれぬ事情で)西洋文明を導入することになったけれども、かの文明は『現時点での最先端』に過ぎない」と繰り返し述べ、無批判な西洋礼賛はしていません。「西洋諸国は、どうにも好戦的で困る」とも。

特に印象深かった一節を引用します。(岩波文庫版より)

「西洋諸国を文明というといえども、まさしく今の世界にありてこの名を下すべきのみ。(中略)ただ一般にこれを見渡して善盛に趣くの勢(いきおい)あるのみにて、決して今の有様を見てただちにこれを至善というべからず。今後数千百年にして、世界人民の智徳大いに進み、太平安楽の極度に至ることあらば、今の西洋諸国の有様を見て、愍然(びんぜん)たる野蛮の歎を為すこともあるべし。これに由てこれを観れば、文明には限りなきものにて、今の西洋諸国を以て満足すべきにあらざるなり。」(第二章「西洋の文明を目的とすること」 下線は引用者による)


「この150年間で、日本人の『智徳』が大いに進んだ」とは、さすがに思いませんが…。

過去に(やむを得なかったとはいえ)独自の文明を捨ててしまった日本人としては、産業社会の暴走と、それが生み出した気候危機への対応を迫られる形で、

「明治維新から現在までの行いを、根本に遡って振り返ること。そして、たどり着くべき具体的な状況(※)を目指して、何らかの『原点』から変革することが必要」…と感じる、今日この頃です。

そしてその『原点』(=思考の出発点と、倫理的な判断軸)については、先ほどご紹介した資料の後半で示したつもりですぞう。

「たどり着くべき状況」については、ここで詳細は述べません。近しい方々と、大いに話し合いたいところ。

私自身は、広井良典さんの数々の著作を参考に、社会の未来像を思い描いています。

広井良典『定常型社会:
新しい「豊かさ」の構想』
(2001年)

広井氏が長年にわたり提唱する「定常型社会への転換」については、こちらの記事もどうぞ。

NHK地域づくり情報局「"定常型社会"の時代へ」(2016年5月23日付)

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っていう感じの、最近の(+視座は、けっこう不変の)コーゾーでした。
ほんじゃ、またね!

【さらに追伸:8/31の報告会にご参加くださった方へ】

会の終盤、私が口頭で説明した「フィジーの海、祖父と孫の写真」は、こちらのWebページで見られます。
ただし、10秒間ほど広告動画を視聴する必要があるようです(9/30現在)。
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1383843

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