もうすぐ国政選挙。街にも、候補者ポスターの掲示板が並ぶようになりました。
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ポスターの枠、多すぎない? (ここは京都府、定数2) |
選挙が近づくたび、周囲の人たちから
「コーゾーさんが、どのように投票先を決めるのか知りたい」という声が寄せられます(本当に)。
せっかくですから、お答えいたしましょう!(←何様?)
…といっても、私の回答はいつもシンプルでして、
「まずは、自分自身を知ることじゃない?」ということに尽きます。
「この政党が掲げる政策は望ましい」とか、「この党首の言うことは信用できる」とか、新聞やテレビで語られる内容をあれこれ論じる前に、
「自分自身がどんな社会を望んでいるのか、改めて自問自答する(そして、自覚する)」という作業が先だろうと思うわけです。
というわけで、この機会にギリシャ語の格言をひとつ、覚えましょう。
「グノーティ・セアウトン!」
(「汝自身を知れ」;デルフォイ神殿の柱に刻まれていたという言葉)
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投票というのは、「並べられた政策メニュー(by 各政党)から、いちばんしっくり来るものを選ぶ」という作業になりがち。でも、冷静になって考えてみれば「自分は、こういう社会が実現することを望んでいる」ということを、静かに表明する行為なんだと思います(青臭い言い方ですけど)。
自分のなかに「理想の社会像」がちゃんと根を下ろしていれば、選挙のたびにその”価値観の軸”に立ち戻れます。やがてそれが習慣化していけば、日々の生活においても「ちゃんと、自分の理想を実現するような行動が取れているかな」と、折りにふれて自問できます。
これって、私にとってはけっこう大事。日々の雑事に振り回されて、「心の底から目指すもの(私にとっての"北極星")」が見えなくなる時って、ありますからね。
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橋本努『経済倫理=あなたは、なに主義?』(2008) 自分の「価値観の傾向」を知ることができる、名著 惜しむらくは、質問の項目が古いです (改訂版を心待ちにしています) |
たとえば私は、「地下資源依存型の科学文明は、早期に転換すべきである(バイオマス文明に切り替えるべき)」と考えています。
また「小さな地域の中で、立場の異なる人たちが、水平的につながり合える関係づくり」にも関心があります。
そうした自分の「まなざし」が明らかになれば、各党ウェブサイトで政策を見比べてみるだけでも、「ああ、この政党の人たちとは、わりと話が合いそうだな」みたいなことが、容易に見えてくるはずです。
「グノーティ・セアウトン(gnōthi seauton)。」
古代ギリシアのソクラテス氏も、この文言に向き合って、そうとう思い悩んだらしい(ソクラテスは、投票先に悩んだわけではないけれど)。
あなたも私も、せっかくの機会ですから「自分って、どんな人?」ということを、深く考えてみたいものですね。そういう「自己認識のしあいっこ」とか、してみたいゾー。
考える際のBGMには、吉田拓郎の”あの曲”をどうぞ!
【以下は余談】
「この政党は好きじゃないけど、候補者の人柄が良さそうだから」と言って、ある政党の公認候補に投票される方がいます。その行動を止めはしませんが、私はおすすめしません。
というのも、(私の考えでは)公認候補というのは、その政党の政策を拡散するための「広報官」にすぎない、と考えるからです。
仮にその候補が独自の見解を持っていたとしても、政党が掲げる政策に反するものが、その政党を通じて実現する可能性はほとんどありません(仮に与党であっても)。
したがって、まず「自分自身の目指す社会像を自覚する」という作業をしたあとは、街頭での演説をしっかり聴いたり、選挙ビラをすみずみまで読む、なんて必要はありません。単に「政党本部のウェブサイトをしっかり読めばいい」のです。そこに、その政党が描く社会像が如実に出ている(はず)ですから。
そんなわけで、今回は「自分のことさえよくわかっていれば、投票先を選ぶなんて簡単ですよ」というお話しでした。
投票、行こうね。それでは、また!
コーゾー
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