昨年、40歳になったあたりから急に、
これまで出会った方々のこと…
「たとえ短い時間であれ、同じ場所で、同じ時間を過ごした人たち」
のことに、想いを巡らせることが多くなりました。
これは「同時代人意識」とでも言うのでしょうか、
今、目の前にいなくとも、
同じ方向へと歩んでいなくても、
「同じ時間の中で生きている、私とあなた」。
似たような表現として
「同世代意識」
があるのだと思いますが、
これまで出会った方々のこと…
「たとえ短い時間であれ、同じ場所で、同じ時間を過ごした人たち」
のことに、想いを巡らせることが多くなりました。
これは「同時代人意識」とでも言うのでしょうか、
今、目の前にいなくとも、
同じ方向へと歩んでいなくても、
「同じ時間の中で生きている、私とあなた」。
似たような表現として
「同世代意識」
があるのだと思いますが、
ちょっとニュアンスが違います。
私自身は
「われら同世代人、昭和40年代後半生まれの団塊ジュニア」
私自身は
「われら同世代人、昭和40年代後半生まれの団塊ジュニア」
といった感覚は重視しておりませんで、
たとえ世代が違おうとも
(40歳の私から見て、70歳の大先輩だろうが20歳の若者だろうが)
「今も、それぞれの場所でそれぞれの役割で、頑張っているのだろうな」
と考えることで、とても豊かな気持ちになれるのです。
「今も、それぞれの場所でそれぞれの役割で、頑張っているのだろうな」
と考えることで、とても豊かな気持ちになれるのです。
そういった流れで、
「昔の有名人たちの中には、どのような”同時代人”がいたのだろう?」
と考えたりもします。
中でも、最近気になる存在は“とんち話”で有名な一休さん。
一休さん自身は禅僧(臨済宗)ですが、19歳年下である本願寺第八世・蓮如(浄土真宗)と、
宗派を超えた親交を結んでいたことが知られています。
たとえば…
一休が、浄土真宗において説かれるお経の中に
「極楽浄土は十万億土のかなた」と表現されていることを知り、
(「従是西方過十万億仏土」『仏説阿弥陀経』)
それを茶化して曰く
「極楽は 十万億土と説くならば 足腰立たぬ 婆は行けまじ」。
まあ一休さんらしい、ユーモアあふれる歌ですね。
しかしながら蓮如もさるもの、これにすかさず返歌して
「極楽は 十万億土と説くなれど 近道すれば 南無のひと声」。
何を言われる、”南無阿弥陀仏”と一心に唱えるならば、浄土への近道が開かれるのだ、と。
一休という人は、大悟した(「悟り」に至った)ことを師に認められながらも印可状を棄て、
当時の権威ばった仏教界を物笑いの種にしながら、風狂の世界に生きた人。
だからこそ蓮如のように徒手空拳、衰退していた自身の宗派を立て直すべく、
ひたむきな努力を重ねる若者への共感があったのかもしれませんね。
一休は蓮如が催した親鸞の200回忌にも参列していますし、
蓮如のことを評価してこんな歌を残しています。
「分け登る ふもとの道は多けれど 同じ高嶺の 月をこそ見れ」
(登る道筋こそちがうけれど、私とあなたは共に、高い理想を見上げて歩んでいる)…と、私訳。
さてさて、私も「同じ高嶺の月」を見上げる同時代人に、
もう出会っているのか、まだこれからなのか。
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今年の春はいろいろなことがありまして、久しぶりに「まっさらな新生活」という気分で迎えそうですが、
これから新たに出会う人たちも「同時代人」として、ずっと先まで末永くおつきあいいただけたらいいな、というふうに考える日々でした。
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